パーソナル化と開発費の話
機械学習は、個人のデータを学習して最適な答えを出してくれるというのが期待されているのだが、検索問題にも共通するのだが、お金が稼げないと意味がない。
パーソナライズ化は、「あなたに合わせて開発しますよ」では到底開発費を個人が億単位のお金を出せるわけもなく、「(私の会社が儲かる)いくつか選択肢を用意した中で最適な解はコレです」というのを提示するまでに留まる。
またデータが沢山ないと難しいので、マスのデータが取れる母集団に含まれている人は恩恵を受けることが出来るが、外れている層は恩恵を受けにくい。
人間が機械に合わせる方が効率がよい。人に対して話す言葉と、Siriに話す言葉は違っていていいのだが、人とのインタフェースは単純にする必要がある。
「正解」しか消費されない
- Amazonに持って行かれたとされたのは、Amazonで買うことが「正解」だという認識が広まっていたからではないか。
- モノの場合はスペック勝負がわかりやすく、価格もあり、誰かが「正解」というのを言わない限りは消費されない。
YouTuberの人のレビューに注目が集まるのは、「正解」を求めるからであり、ヤラセは「正解」に対してノイズとなるため嫌われる。 - インスタで素人が撮った写真に注目が集まるのも、「正解」を求めるからであり、プロが撮った手間のかかる写真は、ヤラセ感が感じられる。
- インスタ映えする写真が撮れるというのは、誰かが「正解」を示しており、テクニックは必要としないものが求められている。
- モノ消費からコト消費と言われているが、モノ消費よりもコト消費の方が「正解」と判断される幅が広い。
モノ消費はその時々で1位か2位のモノでなければならないし、発売数ヶ月経つと「不正解」の旧バージョンとなる。
コト消費は観光地がガラッと変わるわけでもなく、全く同じ時間を共有するわけではないので、人によって「正解」が異なると捉えられるので、「不正解」を選んだと烙印を押される可能性が低いのではないか。 - iPhoneの終焉は、iPhoneを買うことが「不正解」となった場合。
選択肢が多くなりすぎると、どれが「正解」かわからなくなる。 - 「正解」を選ぶよりも、「不正解」を選ばない方が重要。
どれが「正解」なのか不確かなのであれば、買わずに「不正解」を選ばない方を選択する。 - 誰が「正解」「不正解」を決めるのか。
「不正解」の烙印を押してくる人間関係→信頼できる有名人→テレビ - 「不正解」の烙印を押してくるような人が居ない状況を作り出した場合、里山、ほにゃららセミナー。