PEZYスパコンと量子コンピュータの話題を端から見ていて思ったこと
- SNS界隈は『共感』が重要視されており、真実かどうかは問題ではない。
1分もかけずに専門的な内容を伝えるのは不可能だし、読む側もそんなことは求めていない。専門家の発言よりも、自分が信じる人、もしくは身近な人が言っていることの方がプライオリティが高い。 - 時代の潮流を読み、不要であるや、失敗するというのは楽である。
将来、プロジェクトが成功した場合は責任をとる必要はないし、失敗した場合は言わんこっちゃないということで、済ますことができる。 - 他人には馬鹿げたアイデアだと思われるものを追求するには、環境が必要である。少なくともSNSにべったり引っ付いてはできない。
独立性が必要である。
「そんなのは実現不可能だ」「馬鹿げている」と言われて続けられるものではない。また既存の利益を守ろうとする人からすれば失敗した方がいいのである。
天動説が主流の中で、地動説を唱えることの難しさは、頭で知っていても宗教裁判の当事者にならないとわからないものである。 - 失敗という恐怖を乗り越えるのは大変なものだ。
「絶対失敗しないと分かっていたとしたら、どんなことに挑戦しようとするだろう?」
この問に答えられる人はなかなかいない。 - 巨人の肩に乗って、誰も見たことの無い景色を見られたというのも『共感』できるようになることを望む