IT系メモ

興味のあったことや、勉強したことなどをメモしていきます。

戦争責任

いろいろ考えてたんですが、結局考えがまとまりませんでした。明らかに知識が足りない…。クラウゼヴィッツだけじゃ全然足らん。北一輝の国体論もやっとかんとなぁ。シビリアンコントロールももっと勉強しないと。


明治憲法に明記されているとおり、天皇が軍の権限を握っていた。そのため、天皇への責任追及を逃れ、天皇制の存続を優先事項としていた人々にとって憲法に戦争放棄を明記することは、有効な取引条件となると考えたのではないか。軍隊の放棄に関しては、当時の日本にとって軍隊を再び持つことがアメリカへの服従につながるという一面が強いが、やはり、限界を超えた戦争によって減少した国力の回復が第一だったのだろう。人間宣言の中に天皇が人間であると解釈できる部分がないが、人間宣言によって日本国の象徴として天皇が存続していくための布石がしかれた。GHQが天皇の責任を追求しなかったのは、追求したことによる国民の反対を恐れて、その後の統治が難しくなるということだったらしい。天皇への忠誠心が強かった東条英機が東京裁判で、天皇への責任追及をさけるため、当時の日本の状況を弁明するしかなかった。日米衝突をさけたかった天皇の意向を実現できなかったとして、太平洋戦争が会戦した夜、一人泣いたそうである。


東京裁判では、奇妙な論理が展開された。A級戦犯らが、国民が会戦を望んだため、政府は国民の代行機関であるため、会戦に踏み切ったということである。一見正しそうであるが、当時の脅迫政治から考えると、国民は政府が決めたことに従わざるを得ず、全面的に責任があるとは感じられない。
東京裁判は戦勝国が敗戦国を裁くという構図となり、公平な裁判が行われたのか疑問が残る。国際法を会得しているのがラダ・ビノード・パールただ一人であるなど、裁判官の人選が最適であったかは疑問。
ニュルンベルク裁判のように明快でない、また追って裁判が行われたわけではない。A級戦犯とされた人々の中には重光葵岸信介のように政治に復帰している者もおり、曖昧なままとなっている。そしてその問題が靖国神社でのA級戦犯を他の英霊と一緒に祀っていいのかということにつながっている。


もし日本国民の手で裁いていたらどうなるか。そんなことができていたならばアメリカが出てきたはずがない。東京裁判でも裏切り、手回しがあったように、あの当時はまともな憲法さえもできやしなかった。


ラダ・ビノード・パールの発言、「ハル・ノートのようなものをつきつけられれば、モナコ公国ルクセンブルグ大公国でさえ戦争に訴えただろう。」や、太平洋戦争は「侵略戦争」だとして東京裁判を開廷した張本人であるマッカーサー自身が、「自衛戦争」だったと認めいたといったことからも、やむを得なかったというのはわかる。しかし、メディアが国民を煽ったことは考えておかなければならない。


ドイツ、イタリアのように独裁者が現れたのではない。東条英機が独裁者のように言われるが、終戦1年前には辞職している。よって東条英機には独裁者色が薄い。また戦争中においても陸海軍の確執があったことも他と違うところである。そして、最も重要なことは、戦争への道がなんら違法なことではなく、憲法に則し合法的に行われたことによる。であるからして、戦争を知らない世代に戦争責任を押し付けようとは思わないが、未来の政治をどうするかということは責任がある。


従軍慰安婦という言葉が作られたのは戦後のこと。実際にあったのであろうが、軍が直接関与したかについてはわからない。公式文書もない。そうしなければ生きていけない人(親に捨てられたなど)が集まってきて、自然と施設が作られた?


戦争は高度な政治の上で成り立つのであって、単なる暴力ではない。暴力反対を唱えるだけでは、抑圧された人々の革命も否定することになりかねない。また安易なヒューマニズムではどうにもならないだろう。そして政治の上での戦争に「正義」といったものは不要である。使えばそれは宗教戦争でしかない。