個人的メモ
海外でもインスタグラムを中心に消費されている感じがするが、日本に限定しての話として読み取っている。
僕の考えではそれは、世の人が「撮影された写真に価値の中心を置く」という消費のスタイルに追いついていないために出てきた「時代の気分」にほかならない。
ここでマーケティングの人なら写真共有サービスの特性や利用者の心理に注目するところだが、社会学を研究する僕らが扱いたいのは「写真が撮影される場」のほうだ。
インスタ映えよりも前に、広告などでは写真スタジオは使われており、非日常を演出してきた。とはいえ1時間数万円の利用料金は普及には無理だろうから、一般にも使えるような価格帯になったといえる。ディズニーの非日常と、高級志向、食品のちょっとした贅沢といったところまで合わせ込んだのがインスタ映えのような感じであろう。
「誰それと何をした」という自分の行動を、写真や動画で表現する現在のInstagramの利用法は、「誰それ」の部分で孤立不安が煽られ、「何をした」の部分で顕示的消費による嫉妬が煽られるものになっているわけだ。
Facebook、Twitterだとこれだろうし、他のSNSの流れで利用している人もこれだろう。ナイトプールも同様かと思う。だがインスタ映えする食品などを撮るときは食品だけであったりするわけで、複数の文脈が絡んでいるのではないか。