「Mastodon」について思うこと
ポストTwitterと担ぎ上げられてしまったので比較が多くなっている
何ができるのかが想像できてしまうために可能性がない
Twitterが出た当初と、Mastodonを今出すことに対して決定的に違うのは、Twitterライクなために、できることが用意に想像できてしまう。
Twitterであったらいいよね、を実装されているのだが、Twitterが出てきた当初の、言語化できない、何したらいいかわからない、ツイートして何が楽しいのか、という『これは何か可能性がありそう』というのがMastodonにはない。
個人で建てたサーバーでの運営に対しての声
個人で建てたインスタンスなんて信用できるか、という声が上がっているので、ポストTwitterを名乗るのであれば、インフラとしてちゃんとしろよ、ということを求められている。
想像できてしまうがゆえに、不安定であろうがなんだろうが、「可能性」の一点で超えられるという後押しが弱い
既にTwitterライクなものが死屍累々存在していた
Twitterが落ちたときのために、他の連絡手段としてマイクロブログがあったが、それらを蹴飛ばして、Twitterはインフラとして存在している。
分散サーバーがインフラとして、緊急時に必要だが、負荷には弱い。
早くバルス祭りでMastodonを落とそうぜ!と一部ネタとして使われているのも、やればできるだろうと想像しているからだと思われる。
その他
- オープンソース最高!という状況にはあまりない。
競争力のあるものは秘匿にされ、コスト下げたいもの、差別化につながらないものなどはオープンとなる。 - 個人で管理できるものは増えてるが、結局面倒であろう。