IT系メモ

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ネタとして消費されるニュースにファクトは必要なのか

wired.jp

Wiredにこのような記事が載っていた。

ウォルター・リップマンが1992年に書いた『世論』は、プラトンの影の比喩の引用から始まっている。そして「報道機関や国民が真実を識別して、真実に注意を払うことができるという考えを捨てること」、と締めくくられている。

 
FacebookTwittermixiなどSNSにニュースが流れることに違和感がなくなっているし、出来ればパーソナライズして自分が不快に思わないようなニュースが流れてくればよい、という流れがあり、ニュースはどう捉えられているのだろうか、というところに興味がある。

コミュニケーションにはコンテンツが必要で、ネタを常に欲している。
ニュースが真実かどうかは関係なく、内輪ネタとして消費できればよいのではなかろうか。
コミュニティの絆を強めるためには外部の敵が必要であり、自身が所属している側に賛同するニュースだけでなく、反対のニュースも欲しているのではないか。

で、ニュースを消費するための優先順位としては、1番がニュースがどういう立場で書かれているか、2番目にリアクションがもらえる内容化どうか、3番目以降に真実かどうか、というように本当かどうかの優先度は低いのではないか

 

日本の場合は、SNSでみんながどういう反応をしているのかを確認してから、どう反応するのかが正しいのかを判断すると思われるので、こちらについても真実かどうかは重要ではない。反対意見が出て来る前に多くバズった方が勝ちであり、あとの訂正文は拡散されない状況なのだから仕方ない。