貧困JKについての感想など
- 子供の貧困という問題が本当にあるかどうか、ということは以前から指摘されていることであるが、普通の生活を送っている人には、ホームレスのようには目につかないので問題が可視化されにくかった。
見る側の前提として、そんなことはないというのがある。 - 「健康で文化的な最低限度の生活」のレベルが人によって違うように、「貧困」の定義が人によって違ってくる。
最初に貧困の定義をする必要があり、なおかつ内容に常にそのことを言及しないといけない。(最初に定義したことなどテレビを見ているときは5分で忘れる)
統計情報で補足する必要はあるが、統計的に正しいことよりも、自分の身の回りのことの方が真実である。
自分の周りに貧困がないのであれば、統計的に正しくとも、「そんなものはない」と断定できる。
ある人には、クーラーがありスマフォがあることが最低限と思われるが、
贅沢だと感じる人もいるだろう。
生活保護を受け取ると糾弾されるのが今の空気なので、既に大多数に合意を得られる状況にない。 - 本当に貧困だったらTwitterなんて出来ないだろ、ネットにお金払う金があるんだったら貯金しろよと思われるかもしれないが、今の社会でネット経験が全くないという子供は社会に出ても仕事につけないと思われる。
またTwitterだと外食したと報告したりするのも普通だろう。
SNSは既に身の丈に合った生活を報告する場ではなく、アッパーな生活を報告するための場なのである。
「自分はこれだけ貧乏なのですよ」報告するための場なんて存在しない。乞食行為とされるだけである。
ネットがSNS一辺倒になっているなか、貧乏人がいる場はないのである。 - 本人を顔出しで報道するべきではなかった。
これが圧倒的な美少女であった場合は、全国から寄付が殺到するなど別の方向にいったと思われる。(選民に繋がる)
声も変えるべきだった。
仮に支援によって貧困から脱出できたとしても、過去に貧困で報道されたという事実が常に付いて回る。
いつまた社会的に落ちるかリスクを追わせるような報道の仕方はもう今の社会ではダメかと思われる。(数年後に起こっても報道側が責任は負わないと思われる) - 部屋を写すのももう辞めた方がいい。
家の外観も写すのを辞めた方がいい。
もう同情を誘って国民の後押しが必要な状況は過ぎていて、一部の支援者と淡々とこなす - 「子供ならこれから努力すればいくらでも貧困から抜け出せる」と思っている人もいると思う。
経営者の美談として、努力して上に登ってきたという話は尽きないし、受験戦争を乗り越え、就活戦争を乗り越えてきた人にとって、自分は努力してきたから今の生活があるのだという前提がある。だが環境によるところも大きい。
そんな簡単に階層が移動できるのであれば、ピケティ本から始まる議論は起こらない。 - 「今の時代、ネットでいくらでも無料で勉強するコンテンツがあるのだから、やる気があれば上に登ることができる。」という議論と、「貧困なんだからネットなんてやるなよ。だったら貯金しろよ」という議論が同じ人から出てくる。
- 金の使い方が間違っているといっているが、そもそも家計簿からダメだった場所がわかったのではない。
- NHK側がもっと早く火消しをするべきだった。